藤間蘭黄  日本舞踊の世界

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旅行記

7月19日、舞踊協会の新作公演、新△道成寺を無事打ち上げて、
翌20日、第7回ソウル国際舞踊コンクールの審査に出発。
ロシア、ウラジオストクを廻って月末までの旅。

ソウル国際舞踊コンクール審査…バレエやコンテンポラリーダンスの審査ではなく、
「エスニック部門」つまり、民族舞踊部門の審査員。
このコンクールにはバレエやコンテンポラリー部門に加え、
民族舞踊部門がある。

国際、と言っても、民族舞踊部門は中国、韓国、日本の三国。
今年はそれに加えて、モンゴルと台湾が参加。
日本舞踊の人間にとって「国際コンクール」で審査されるということは稀有なことだ。

両刀を扇風機のように回す台湾の民族舞踊や、
雑技団なみのアクロバティックな中国の少数民族舞踊、
きらびやかな衣裳で優雅に動く韓国の太平舞や、
深い悲しみを見せるサヌプリの中で、
日本舞踊の特徴が、際立つ。

通算4回目の審査となる今回も、やはり面白い経験だった。

20日から25日までのコンクール日程の最終日、
夜11時過ぎまでのレセプションを終えて、翌26日に空路ウラジオストクへ。
7時半の仁川空港。眠気眼をこすりながら、チェックインと出国手続き。

所要時間は約3時間。で、時差が2時間。
到着は午後2時半。そこから迎えの車で市内まで約1時間。

ウラジオストクでは2012年のAPEC(エイペック)総会に向けて建設ラッシュ。
空港から市内までの高速道路を建設中。
金角湾を一跨ぎするロシア最大の吊橋も建設中。
市内に入れば至る所でビルの新・改築。

その工事現場を余所目に、シベリア鉄道の終着・始発駅、ウラジオストク中央駅へ。
ここからモスクワまで列車で一週間あまり。

駅前にはまだソ連時代の名残レーニン像が。

夜7時40分発の寝台車で一路レソザボツクへ。
B寝台4人部屋のコンパートメント。
レールの音も心地よく気分は内田百閒。
夜中の1時40分に到着。列車は15分の停車。


駅から約30分、真っ暗な道を車で走っていると、いきなり遠くに花火のようなネオンが。
遊園地かと思ったらそこが町の中心部の交差点、ホテルはそのすぐそばだった。

「森工場」と言う意味の「レソザボツスク」はかつて木工場で栄えた田舎町。
原野の真ん中にソ連時代のアパートが建つ。

翌日は会場下見と蓮池ツアー。
会場は500人ほど入るというソ連時代のホール。
午後からは車で1時間ほどのところの蓮池ツアー。
実は、今回招いてくれたのは、ウラジオストクで、東洋芸術センターを営むロシア人Y氏。
彼は書道の教師で、空手や合気道、居合、そして華道までも教える大の日本通。
その彼が、子供の門弟を連れ合気道のサマーキャンプをしているのがレソザボツクだった。
で、蓮池ツアーはそのレクリエーション。
国道(?)をひた走り、そこから脇道へ。
半端じゃないでこぼこ道を進むと、天然の蓮が満開の池に到着。
と、同時に我々の乗る4WD車はぬかるみで脱輪。
そんな所でも、子供たちのバス(かつてバスだった乗り物という感じ)は無事到着。

ここで数時間を過ごす。
泳いだり、持参のスイカやオレンジ、パンに蜂蜜を付けておやつ。
蘭黄も一年振りに泳ぐ。

催し当日は、昼のリハーサルの後、
夕方5時から本番。
今回は、地元の子供たちを対象にした公演とワークショップ。

夏休みで、当初100人くらいしか集まらないかも…と言われていたが、
ふたを開ければ、親たちも含めて300人ほどの盛況。

最初に「七福神」を少し踊り、それから解説。
日本舞踊独特の扇子を使った見立てをクイズ形式にしたら
競って当ててくれた。
扇子で大波を作ったら「へび」と言われたのにはびっくりしたが、
酒を飲んで酔うシーンでは「サケ」「SAKE」と声があがり、
立役と女形を仕分ければ、笑いが起こっていた。

最後は藤娘の一部と供奴の足拍子を子供たちとともに。
女の子の踊り(潮来出島)を嬉々として器用に踊る男の子や、
一心不乱に足拍子を踏む小さい女の子など、
あっという間の2時間で、大人も子供も楽しそうに帰っていった。

翌日、朝、地元テレビの取材を受ける。
現地には、ツアーの日本人は勿論皆無。
ビジネスでも中国国境に近い(4キロ)せいか、中国人のほうが圧倒的に多いらしい。
そうした意味で、前日の公演は、鮮烈な日本体験だったようだ。

昼、サマーキャンプの子供たちと共に帝政時代の修道院跡の海洋軍サナトリウムや泉を見物。
サウナに入り夜2時の電車でウラジオストクへ。

朝8時にウラジオストク着。眠い。
街中で朝食後、空港へ。
空路仁川経由で成田に帰国した。R
by rankoh-f | 2010-08-08 23:50