藤間蘭黄  日本舞踊の世界

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4年越しの夢

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『展覧会の絵』は子供の頃から聴いていた曲。いつか踊りにしたいと思っていた。9年前に原曲(ピアノ曲)の楽譜を取り寄せ、全編邦楽版に編曲して貰い、振りを付けてリサイタルで上演した。その後、再演を願うものの機会は訪れなかった。
4年前、日本舞踊公演でキエフを訪問、その時、この遺跡に遭遇。かの組曲の最終曲「キエフの大門」はこの門の復元のためのデザイン画をテーマとしている。ここで『展覧会の絵』を上演出来たら…と夢を描いた。丁度、ウクライナ国立バレエ学校の芸術監督に就任した寺田宜弘氏にこの事を語ると、「来てさえくれれば簡単です」。
文化交流使に指名されるにあたり、まず思い浮かべたのがキエフ。寺田氏に問い合わせたところ、5月末「キエフの日」でやりましょう、となった。この事を知人のピアニスト木曽真奈美さんに話したら、「キエフで演奏出来たら」と。実は木曽さんは『展覧会の絵』をライフワークにしており、毎年ムソルグスキーの墓参にも行く程。それならば是非演奏をして頂きたい、と、CDを購入して聴いてみると、作品イメージが覆った。この作品は、ムソルグスキーが、若死した親友のガルトマンに贈ったレクイエムなのだ。しかも死んだガルトマンも魂となって登場する。根本的に振付を変えないといけない。そこで、ガルトマン役を寺田氏に依頼、快諾を得て実現の運びとなった。
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今日からその振付が始まる。R
by rankoh-f | 2017-05-15 14:28

ハワイの活動

現地時間4/3月曜。今回の旅の初「公演」。
朝5時起床。7時過ぎにホテルを出て、KUAKINI病院附属介護施設のホールへ。朝9時過ぎ開演(「過ぎ」は「ハワイ時間」)。
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施設入居者に加え、一般まで含めて約100名の観客。最初が衣裳かつらを付けての『山帰り』。
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次いで日本から駆けつけて下さったピアニスト、木曽真奈美さんのソロコンサートから続けて、ピアノ演奏の『荒城の月』。
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最後は東明流『都鳥』。
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ここまで終えて午前11時!

翌4/4。ホノルルを一望する山の上の介護施設MAUNALANI Nursing Centerでの公演。
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長唄『七福神』、
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ピアノ演奏による『荒城の月』、東明流『都鳥』の三曲を踊る。
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入所者とスタッフ、外来者合わせて約30名の観客に披露しました。

現地時間4/6。ハワイでの最終公演。真珠湾近くのAIEA(アイエア)にあるデイケア施設で、一般の外来者、デイケアの方々に加え、隣接する保育園の子供たちも観に来て合計約110名の観客。
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在ホノルル日本総領事館からは副領事がおいでになりました。
ここでも『七福神』『荒城の月』『都鳥』の三演目を披露。
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『荒城の月』では終了後、拍手とともに「ヒュー、ヒュー」と盛り上がり、
『都鳥』では、酒盛りのシーンで笑い声も。
翌4/7には、在ホノルル日本総領事夫妻を訪問、来年のイベントに再訪を約束してきました。
次は、いよいよ本土シアトルへ。R

by rankoh-f | 2017-04-10 16:34

文化交流使!

蘭黄は平成28年度の文化庁文化交流使に任命され、年度末ぎりぎりから愈々活動を始めた。
真冬並みの寒さの3月29日、成田を出発。
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大型スーツケース4個に詰め込んだ着物とかつら箱を持っての4ヶ月の長旅の、最初の目的地は、ハワイ。祖母藤子門弟が住むホノルル。蘭黄にとっては5歳以来、約50年振りの訪問である。勿論、前回訪問時の事は覚えている訳もないので、初ハワイ状態。
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到着日と翌日は睡魔と戦いながらの打ち合わせ。時差ボケが漸く落ち着いた3日目は、「ポリネシア文化センター」視察。1963年に出来たこの施設には50年前にも訪れているそう。ポリネシアの島々すなわち、サモア、アオテオロア、フィジー、ハワイ、マーケーサス、タヒチ、トンガ、イースター島の文化が紹介されている。島々の風俗や踊りを一気に観られるカヌーショー、フィジーの村を通り、ハワイのフラのワークショップ。タヒチやアオテアロアのダンスを体験して、フラや歌を聴きながらポリネシアンディナー。
イブニングショーではポリネシアの島々を巡る形でひとつの物語が展開。各島々の民族舞踊が絵巻物のように繰り広げられた。エンタテーメントと伝統性、民族性を兼ね備え、しかも飽きさせない演出は、これからの日本舞踊の見せ方を考える上で、大いに刺激になった。
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月曜日には、いよいよ最初のパフォーマンス。R
by rankoh-f | 2017-04-02 18:16

今日からインド

五耀會初の海外公演!
今日からインド、ニューデリーへ。
日本舞踊のレクデモと、現地のシタール奏者、タブラ奏者との共同制作。 そして現地の舞踊カタックダンスのワークショップ。
シタール羽衣、タブラ三番叟。どうなるか。
新たなる挑戦である。R

by rankoh-f | 2016-12-05 08:24

景清

10月15日、国立文楽劇場主催「東西名流舞踊鑑賞会」に出演させていただく。演目は『景清』。祖母藤子の十八番として、自身ただ一回のリサイタル「藤間藤子の会」でも上演し、母蘭景が、「古典十種」に挙げた古典の作品。蘭黄も幾度か勤めているが、久しぶりの上演となる。心新たに踊りたい。


続きはこちら
by rankoh-f | 2016-09-19 21:37

山帰り

相州大山、阿夫利神社で『山帰り』を踊らせて頂く。
神奈川県主催のイベント「カナガワ リ・古典」プロジェクト。http://magcul.net/focus/re_coten2015/
この曲は、大山に詣でた鳶の若い者がその帰り道、遊山旅を楽しむ様子が描かれている。神奈川宿の高台から遠眼鏡を覗いたり、土産物の喇叭で途中で出会った唐人の真似をしたり。当時の大山詣での風俗を取り入れた踊りである。曲中に当時流行っていた新内節の『蘭蝶』の一節を引用した「クドキ」が挿入されている。
ここで語られる「よつやで初めて逢うた時」と云う「四ツ谷」が何処か判らなかった。昨日、阿夫利神社の目黒宮司との話の中で、阿夫利神社の一の鳥居があるのが藤沢の四ツ谷不動堂と聞き、成る程これが取り入れられているのかと納得した。
朝、阿夫利神社下社に参拝。これから愈々本番である。R
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by rankoh-f | 2015-11-07 09:31

稽古終了!

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サンクトペテルブルクでの6日間の振付を無事に終えた。10月の再会まで、各々で磨く。R

by rankoh-f | 2015-07-22 06:40

信長

サンクトペテルブルクでの『信長』振付5日目無事終了。漸く最後まで振りが通り、作品全貌が明らかになってきた。
ルジマトフ氏の信長、岩田氏の秀吉。想像以上に適役となった。明日は最後の稽古。
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by rankoh-f | 2015-07-21 05:15

ロシア

久々のロシア。
10月の「出会い」公演、『信長』の振付でサンクトペテルブルクに滞在している。
稽古場は、ミハイロフスキー劇場内。2日目の振付を無事に終えた。
蘭黄の拙い台本に沿って、ルジマトフ氏に振り付ける岩田守弘氏。
斎藤道三との会見から、桶狭間の合戦を経て、秀吉を家来にするまで。実に的確に「信長像」が作られてゆく。
音楽は、バレエダンサーには耳慣れないと思われる、13弦、17弦の琴に太鼓、笛、小鼓、大鼓で構成されたオリジナルの邦楽曲。その難しさを微塵も感じさせない動きが、目の前で作られ踊られてゆく。
そして自身が演じる「秀吉」も、蘭黄が思い描いた通り、いや、それ以上のものに。まさに一流の仕事を目の当たりにしている。R
by rankoh-f | 2015-07-18 00:39

日々…

去る4月25日、母の蘭景が死去した。
享年85歳。
昨年春に肺癌が見つかるも、自覚症状がないので経過観察するうち、昨年末に胃に転移がみられ、
12月、1月と2度、内視鏡手術をした。経過は良好で、食は細くなったものの、何でも食べられていた。
6月の歌舞伎座での「藤間流大会」では蘭黄と『菊の栄』を踊ることにもなっており、
亡くなる直前まで全く元気に過ごしていた。

入浴中の脳出血による急死。

翌26日、蘭黄は、お世話になった他流の先輩の師歴60周年の記念の会への出演を控えていたため、
お弟子さんたちにすぐに知らせるわけにもいかず、駆けつけた弟夫婦に後を頼んで劇場へ。
夜の最後の出演を終えて20時半過ぎに帰宅。すぐに家元始め各方面へ連絡した。
お弟子さんへはまず最長老からと思い、電話をした。
当夜も蘭黄の舞台を観に来てくれていたので、その帰宅を待っての電話口。
さぞ驚き悲しむだろうと恐る恐る母の死を告げると、驚きはしたものの、取り乱す事なく、
まず、当夜の舞台の無事を言い、一門への連絡を全て引き受けてくれた。
母が祖母のところに養女にきた12歳の当初から今日まで、73年間の付き合い。
90歳を超えた今でも毎月の稽古日に通ってくる「矍鑠」が着物を着て歩いているようなその方に、
思わぬところで力付けられた。

物理的にも心理的にも何の準備もないまま、慌ただしく通夜・密葬を終え、
あっという間に2週間が過ぎた。

まだ信じられない、というのが正直な気持ちではある。
死後の諸手続き、本葬(5月29日)の準備など、やらなければならないことが目の前に山積みされており、
それを片付けていくことで、なんとか平常心が保てているのかもしれない。

故人へのご厚情に衷心より感謝申し上げます。
数々のお悔やみを有難うございます。

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by rankoh-f | 2015-05-10 10:05