藤間蘭黄  日本舞踊の世界

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今日からインド

五耀會初の海外公演!
今日からインド、ニューデリーへ。
日本舞踊のレクデモと、現地のシタール奏者、タブラ奏者との共同制作。 そして現地の舞踊カタックダンスのワークショップ。
シタール羽衣、タブラ三番叟。どうなるか。
新たなる挑戦である。R

by rankoh-f | 2016-12-05 08:24

景清

10月15日、国立文楽劇場主催「東西名流舞踊鑑賞会」に出演させていただく。演目は『景清』。祖母藤子の十八番として、自身ただ一回のリサイタル「藤間藤子の会」でも上演し、母蘭景が、「古典十種」に挙げた古典の作品。蘭黄も幾度か勤めているが、久しぶりの上演となる。心新たに踊りたい。


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by rankoh-f | 2016-09-19 21:37

山帰り

相州大山、阿夫利神社で『山帰り』を踊らせて頂く。
神奈川県主催のイベント「カナガワ リ・古典」プロジェクト。http://magcul.net/focus/re_coten2015/
この曲は、大山に詣でた鳶の若い者がその帰り道、遊山旅を楽しむ様子が描かれている。神奈川宿の高台から遠眼鏡を覗いたり、土産物の喇叭で途中で出会った唐人の真似をしたり。当時の大山詣での風俗を取り入れた踊りである。曲中に当時流行っていた新内節の『蘭蝶』の一節を引用した「クドキ」が挿入されている。
ここで語られる「よつやで初めて逢うた時」と云う「四ツ谷」が何処か判らなかった。昨日、阿夫利神社の目黒宮司との話の中で、阿夫利神社の一の鳥居があるのが藤沢の四ツ谷不動堂と聞き、成る程これが取り入れられているのかと納得した。
朝、阿夫利神社下社に参拝。これから愈々本番である。R
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by rankoh-f | 2015-11-07 09:31

稽古終了!

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サンクトペテルブルクでの6日間の振付を無事に終えた。10月の再会まで、各々で磨く。R

by rankoh-f | 2015-07-22 06:40

信長

サンクトペテルブルクでの『信長』振付5日目無事終了。漸く最後まで振りが通り、作品全貌が明らかになってきた。
ルジマトフ氏の信長、岩田氏の秀吉。想像以上に適役となった。明日は最後の稽古。
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by rankoh-f | 2015-07-21 05:15

ロシア

久々のロシア。
10月の「出会い」公演、『信長』の振付でサンクトペテルブルクに滞在している。
稽古場は、ミハイロフスキー劇場内。2日目の振付を無事に終えた。
蘭黄の拙い台本に沿って、ルジマトフ氏に振り付ける岩田守弘氏。
斎藤道三との会見から、桶狭間の合戦を経て、秀吉を家来にするまで。実に的確に「信長像」が作られてゆく。
音楽は、バレエダンサーには耳慣れないと思われる、13弦、17弦の琴に太鼓、笛、小鼓、大鼓で構成されたオリジナルの邦楽曲。その難しさを微塵も感じさせない動きが、目の前で作られ踊られてゆく。
そして自身が演じる「秀吉」も、蘭黄が思い描いた通り、いや、それ以上のものに。まさに一流の仕事を目の当たりにしている。R
by rankoh-f | 2015-07-18 00:39

日々…

去る4月25日、母の蘭景が死去した。
享年85歳。
昨年春に肺癌が見つかるも、自覚症状がないので経過観察するうち、昨年末に胃に転移がみられ、
12月、1月と2度、内視鏡手術をした。経過は良好で、食は細くなったものの、何でも食べられていた。
6月の歌舞伎座での「藤間流大会」では蘭黄と『菊の栄』を踊ることにもなっており、
亡くなる直前まで全く元気に過ごしていた。

入浴中の脳出血による急死。

翌26日、蘭黄は、お世話になった他流の先輩の師歴60周年の記念の会への出演を控えていたため、
お弟子さんたちにすぐに知らせるわけにもいかず、駆けつけた弟夫婦に後を頼んで劇場へ。
夜の最後の出演を終えて20時半過ぎに帰宅。すぐに家元始め各方面へ連絡した。
お弟子さんへはまず最長老からと思い、電話をした。
当夜も蘭黄の舞台を観に来てくれていたので、その帰宅を待っての電話口。
さぞ驚き悲しむだろうと恐る恐る母の死を告げると、驚きはしたものの、取り乱す事なく、
まず、当夜の舞台の無事を言い、一門への連絡を全て引き受けてくれた。
母が祖母のところに養女にきた12歳の当初から今日まで、73年間の付き合い。
90歳を超えた今でも毎月の稽古日に通ってくる「矍鑠」が着物を着て歩いているようなその方に、
思わぬところで力付けられた。

物理的にも心理的にも何の準備もないまま、慌ただしく通夜・密葬を終え、
あっという間に2週間が過ぎた。

まだ信じられない、というのが正直な気持ちではある。
死後の諸手続き、本葬(5月29日)の準備など、やらなければならないことが目の前に山積みされており、
それを片付けていくことで、なんとか平常心が保てているのかもしれない。

故人へのご厚情に衷心より感謝申し上げます。
数々のお悔やみを有難うございます。

R
by rankoh-f | 2015-05-10 10:05

「国引き」神話

八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は、最初、出雲国を東西に長く海岸線が広がる、細い布のように作ったが、あまり細すぎたので縫い繋げる土地を探した。
すると海の向こうの新羅に余った土地があった。そこで、三つ編みの丈夫な縄を綯い、まず、大きな鋤を使って余った土地を切り取り、縄をかけて、「国来、国来(くにこ)」と言いながら引いた。次に、同様にして狭田(さだ)国と隠岐(おき)国、そして越(こし)国から土地を引いた。新羅から引いた綱をかけた杭が現在の三瓶山(さんべさん)で、その綱は薗の長浜。越の国から引いた綱をかけた杭は大山、綱は弓ヶ浜になったという。すべての地を繋ぎ止め、オミツヌは杖を立て「おえ!」と叫んだ。それが意宇(おう)郡の由来という。
このオミツヌは一説にはオオナムチの祖父であるという。オオナムチは大国主の前名である。
写真は長浜神社に奉納されている「国引きの図」。
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by rankoh-f | 2015-03-26 23:01

KUNIBIKI

今月29日、出雲市民会館での「出雲の春音楽祭2015」。
「オーケストラと日本舞踊」という試みの第一弾。フェスティバルオーケストラの『ボレロ』で出雲神話をテーマに上演する作品は『KUNIBIKI』。出雲風土記の巻頭を飾る国引き神話である。昨年11月、創作を始めるにあたり、この神話の主人公、八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)を主祭神とする長浜神社に詣でた。
本日、愈々本番を控え、公演の無事を祈りに再び詣でた。社務所を覗くと、昨年丁寧にご説明頂いた宮司さんが、覚えていてくださり、名前を呼びながら笑顔で出てきてくださった。とても楽しみにしている、公演当日においで頂ける、との嬉しい言葉を頂いた。
当日に向けて明日からいよいよ追い込みである。R
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by rankoh-f | 2015-03-25 19:11

新曲浦島

今週末14日、国立劇場舞踊公演「素踊りの会」に初めて出演させて頂く。
長唄『新曲浦島』。
坪内逍遥が、自ら提唱した「新楽劇論」の理念に基づき、明治37年に発表、全3幕、能から邦楽、洋楽まで駆使する壮大な構成のため、全編上演はされないまま、その序曲が今に残った。
祖母の藤子はこの曲に、昭和17年、「素踊り」で上演すべく振り付けた。一番身体が効いた頃の振付。身体全部をたっぷりと、舞台を大きく使って、大海原のうねり、流れる雲から、そこに暮らす漁民の息遣いまで豊かに表現している。
蘭黄は10代の頃、初めて本格的な「素踊り」として踊った曲である。写真は、その時誂えた舞扇。藤子による箱書き。今回もこれを使う。
衣裳・かつらの力を借りずに、身体だけで情景を描き出す素踊り。初めての時は、ただ只教えられるままに身体を動かしていた。
それから35年あまり。
様々な踊りを経験し、自身も振付をするようになって、この『新曲浦島』の振付の凄さが少しずつ解ってきた。
釣竿を担いで登場するだけで、そこが何処なのか、どんな天気なのか伝えなければならず、その釣竿が、時に海になり、波になる。
扇子一本で、夕焼け空の移り変わる様を見せる。
果てはその扇子を海に投げて、波間に漂わせる。
そうかと思うと、漁を終えて、苫屋へ帰る漁師となる。天候を気にしているかと思えば、湊に吹き渡る風となり、再び漁師に戻って船に乗る。遠くの海に仲間の船を見付けて声をかけ、沖に漕ぎ出す。
小さい波が立ち始め、やがて大きなうねりを伴う夕嵐となる。
「役を踊る」歌舞伎舞踊の要素と、扇子一本で森羅万象を表現する明治以来進化させてきた日本舞踊の技法の融合である。R
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by rankoh-f | 2015-03-13 07:34