藤間蘭黄  日本舞踊の世界

rankoh.exblog.jp

まだまだこれから

10月31日、19回目のリサイタルを終えた。

今回、素踊り2題というものの、
『景清』と『都鳥』という、一見全く違う作品を並べたつもりだった。
ところが、2番を続けて稽古すると、実は非常によく似ているところが多々存在した。

番組構成の時点で、自らハードルを上げていた。

『景清』は平安の武将が江戸の廓に通って阿古屋という傾城と馴染むという筋立て。
前半は源平の合戦を江戸の遊郭になぞらえた「物語」、
後半は、阿古屋と景清の恋話となる。

この恋話が『都鳥』と重なる。

『都鳥』は江戸末期の隅田川点描といった内容。
前半は船遊びの様子や深川の荷揚げ風景などが描かれるが、
後半、吉原の遊女と逢引をする恋人の様子が、『景清』に似ているのである。

片や平家の侍大将と最高位の傾城。
片や市井の船頭と下級遊女。
2組の男女の仕分けとなった。

また、前述の通り『景清』で語られるのは源平の合戦。
屋島の海戦である。船が何度か登場する。
一方『都鳥』は隅田川。これにも川舟が多数描かれる。
海の戦の軍船と川の交通の船の仕分けである。

極めつけは「振付」。
『景清』は曾祖母勘八が伝えた古典。
『都鳥』は祖母藤子が振りを付けた。
『景清』に出てくる古典の振りが、『都鳥』の随所に再構築されて登場する。
『景清』を得意としていた藤子ならではの振付ともいえるが、
並べてみると本当によく似ている。

ただし、同じ振りでも、演じる役が侍か町人か、若者か中年か、男か女かで
踊り方は全く変わる、はずである。
そしてこれが踊り手にとって技量の見せ所となる、はず。

こうしてハードルの高いリサイタルとなった。R
# by rankoh-f | 2013-11-03 09:49 | 日々

景清3

景清は、廓に通う色男。
傘をさして登場するのは、初演の『閏茲姿八景(またここにすがたのはっけい)』という八変化が、「八景」(十世紀に選定された中国瀟湘八景が基となり、ある地域の優れた八つの風景を集めたものをいう。晴嵐、晩鐘、暮雪、夜雨など風景には決まりがある)になぞらえてあり、この『景清』は「滝詣(たきもうで)の夜雨」であるから。また、この傘は『助六』や『雨の五郎』など廓へ通う色男に共通する小道具でもある。
景清は、手練手管の傾城阿古屋に負けじと一杯ひっかけ、赤いところが平家だと(平家は赤旗、源氏は白旗)洒落ながらやってくる。
廓に着いて、馴染みの芸者や幇間にせがまれて、景清に源平合戦の話をする。
江戸の廓で平安の武将が繰り広げる荒唐無稽な「物語(ものがたり=戦の様子を実況中継のように踊る)」。
「〽まず一ノ谷の戦場は 前は海 後ろは険しきひよどりごえ」と言った後、
「〽江戸で申さば品川に似たりよったる色酒に」。
初演当時、品川は東海道第一の宿場遊里として非常に賑わったという。
その「品川」である。
平氏の官女たちをのせた船が海戦に漕ぎ出す様子は
「〽すわや時ぞと漕ぎ連れて 客ある方へとのり出せば」。
敵の源氏を客に見立てて、官女は「舟君」(=船で客を取る遊女)。
ここでは那須与一が扇の的を射ったという源平の合戦の故事もたった一文
「〽かくとみぎわに那須野がひらり」で語られる。
こうなれば主人公景清さえも「立君」(街娼)となって「モンシモンシ」と客(=源氏の勇将三保の谷)の袖ならぬ錣を引く。
このように廓話になぞらえて、勇将景清と三保の谷との二役を演じ分けながら、壇ノ浦の合戦のようすが披露されていく。
そこに恋人の阿古屋が現れる。
「〽心も空の上草履」。恋人がやってきても私のところに顔も出さずに他の部屋で、大声で戯言を言っている。阿古屋の心は上の空で、廊下を歩く上草履を引っかけるのもそこそこに景清がいる部屋の前までやってくる。入りあぐねて、障子を細く開け中へ合図を送ろうとするものの、閉められてしまう。意を決して入ろうとすると逆に障子がさっと開いて景清がやってくる。
ここから阿古屋が恋心を訴える「クドキ」となる。
花見戻りに大勢でやってきた中に「七兵衛」という面白い名前の侍(景清は悪七兵衛景清という通称)が。
阿古屋は朋友の遊女とそれを笑っていたが、いつの間にか「〽心が先へつい惚れて こっちに思えば そっち」も私を口説いて恋人となった。これも観音様の引き合わせ…
こうして心情を訴える阿古屋に対し、
景清は照れ臭いのか、はたまた「〽立たぬ口舌の し残しを」思い出したか、
突然声を張り上げて「そんなことは置いておけ!」。
挙句の果てに「〽どうでもしげさん粋じゃもの」とまで言う。
「しげさん」は歌舞伎『壇浦兜軍記』の阿古屋の琴責めに登場する。
行方不明の景清の居所を阿古屋が知っているに違いないと、源氏方の岩永左衛門が拷問をしようとする。それを畠山重忠が止めて、隠し事をしていれば、音色に狂いが現れるはず、と、琴、胡弓、三味線の三曲を演奏させる場面。その重忠がすなわち「重さん」。
ここで踊り手は、景清→一瞬の阿古屋→景清と目まぐるしく役を変えながら痴話喧嘩を表出させる。
そんな痴話げんかを芸者や幇間が納めて二人を閨へいざなう。
踊り手は幇間から果ては閨の屏風まで演じる。
『景清』はこのように剛柔自在に演じるというところが見せ所である。R
# by rankoh-f | 2013-10-28 00:34

都鳥2

哀愁をも帯びた繊細な前弾から、からっと明るい曲調になり踊り手の登場となる。
「江戸」の雰囲気を纏った人物。しかし語り手は江戸にはいない。
「〽徳川の世の盛り」という歌詞が示す通り、作者はちょっと前の江戸時代を「徳川の世」と言う明治人なのである。
隅田川に浮かべた船の上で行われる茶事の描写、
酒に砕けてからのさんざめき、
深川の荷揚げ人足さえも粋なパフォーマーとなる。
山谷堀へと向かう遊里の客の浮き立つ心、
遊女と逢引する間夫(恋人)など。
「〽その思い出の懐かしき」と最後の歌詞にあるように、明治人がちょっと前の江戸を思い出し、
哀愁に浸る作品なのである。
この「哀愁に浸る」は平安の昔からの「あはれ」にも通じる日本人の心の動きなのだと思う。R

蘭黄の会。10月31日19時から国立小劇場。全指定席7000円。
http://www.geocities.jp/rankoh_f/2013omote.html
# by rankoh-f | 2013-10-26 23:35 | 一言解説

都鳥

リサイタルのもう一つの演目、東明流『都鳥』。
作者平岡吟舟(本名平岡 凞(ひらおか ひろし))は、幕末安政3年生まれ、没年は昭和9年。
若くして渡米、ボストンの機関車製造所で技術・工程を学び、帰国後32歳ではじめた車輛製造工場で巨利を得た。彼はまたベースボールとローラースケートを米国から持ってきた。
野球の方は同僚たちに教え日本人として初めて本格的な野球チーム(新橋クラブ)を組織し、野球場を新設。野球の普及に尽力した。
明治35(1902)年に、邦楽の一派をたてて東明と名付けた。
その時の端書(はしがき=設立趣意書)に「私は天性音曲を嗜み…中略…(従来の音曲は)趣味あるものは品が悪く、品よきものは面白くなく、或は渋すぎ、或は甘すぎ、互に一長一短があって、全曲すべて私の心にかなうものが稀にしかなかった。そこで試みに、各流に渉って私の好む節のみを寄せ集め、更に私の新に工夫した曲節を加味して、ここに自己流の新曲を作り、他流と区別するため、これを東明流と名付けた」とある。
この『都鳥』もまさにそうした作品。東西の音曲の良いところを取って、しかも、当時としては新しい節付けがなされている。R
# by rankoh-f | 2013-10-25 21:06 | 一言解説

景清

今回リサイタルで上演する常磐津の『景清』。
伝説によると景清は、京、清水の観世音に深く帰依していた。
室町時代の幸若舞(能や歌舞伎の原型)の「景清」には、その道すがらの五条の遊郭の遊女「あこ王」が恋人として登場する。これが近松門左衛門により「阿古屋」と名付けられた。

今回の、常磐津では、「〽ねび観音をだしにして 夜毎日毎の徒詣(かちもうで)」。
ここでの景清は、観音詣を「だし」に廓に通う色男。
伝説が完全に逆転したかのようである。

この7世市川團十郎による景清のキャラクターには実はモデルがある。
この曲の初演5年前、源氏の武将梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)を主人公とした『源太』が3世坂東三津五郎により初演された。この上演の好評を受け、本曲が出来たのである。
登場のシーンでは「〽ちっと先祖に申し訳」と『源太』を初演した三津五郎を拝む振りがついている。
『源太』はその歌詞の一部「〽今年ゃかぼちゃの当たり年」から「かぼちゃの源太」と呼ばれていたため、景清は自ら「ほんのへちまの景清が」と述べる。

景清が一杯ひっかけて廓にやってくると馴染みの芸者や幇間が出迎えて、源平合戦の話をせがむ。
つまり源平の合戦が終わったのち、という時代設定。だが、敗れた平氏の侍が悠長に「平家の侍大将」などと言い放って廓通いなど出来るはずがない。また、その時代にはまだ廓に芸者や幇間など居るわけもない。
まるで江戸の遊郭に、平安時代の武将をタイムスリップさせたかのよう。荒唐無稽な洒落の世界である。R
# by rankoh-f | 2013-10-24 22:57 | 一言解説