藤間蘭黄  日本舞踊の世界

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景清

今回リサイタルで上演する常磐津の『景清』。
伝説によると景清は、京、清水の観世音に深く帰依していた。
室町時代の幸若舞(能や歌舞伎の原型)の「景清」には、その道すがらの五条の遊郭の遊女「あこ王」が恋人として登場する。これが近松門左衛門により「阿古屋」と名付けられた。

今回の、常磐津では、「〽ねび観音をだしにして 夜毎日毎の徒詣(かちもうで)」。
ここでの景清は、観音詣を「だし」に廓に通う色男。
伝説が完全に逆転したかのようである。

この7世市川團十郎による景清のキャラクターには実はモデルがある。
この曲の初演5年前、源氏の武将梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)を主人公とした『源太』が3世坂東三津五郎により初演された。この上演の好評を受け、本曲が出来たのである。
登場のシーンでは「〽ちっと先祖に申し訳」と『源太』を初演した三津五郎を拝む振りがついている。
『源太』はその歌詞の一部「〽今年ゃかぼちゃの当たり年」から「かぼちゃの源太」と呼ばれていたため、景清は自ら「ほんのへちまの景清が」と述べる。

景清が一杯ひっかけて廓にやってくると馴染みの芸者や幇間が出迎えて、源平合戦の話をせがむ。
つまり源平の合戦が終わったのち、という時代設定。だが、敗れた平氏の侍が悠長に「平家の侍大将」などと言い放って廓通いなど出来るはずがない。また、その時代にはまだ廓に芸者や幇間など居るわけもない。
まるで江戸の遊郭に、平安時代の武将をタイムスリップさせたかのよう。荒唐無稽な洒落の世界である。R
by rankoh-f | 2013-10-24 22:57 | 一言解説