藤間蘭黄  日本舞踊の世界

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都鳥

リサイタルのもう一つの演目、東明流『都鳥』。
作者平岡吟舟(本名平岡 凞(ひらおか ひろし))は、幕末安政3年生まれ、没年は昭和9年。
若くして渡米、ボストンの機関車製造所で技術・工程を学び、帰国後32歳ではじめた車輛製造工場で巨利を得た。彼はまたベースボールとローラースケートを米国から持ってきた。
野球の方は同僚たちに教え日本人として初めて本格的な野球チーム(新橋クラブ)を組織し、野球場を新設。野球の普及に尽力した。
明治35(1902)年に、邦楽の一派をたてて東明と名付けた。
その時の端書(はしがき=設立趣意書)に「私は天性音曲を嗜み…中略…(従来の音曲は)趣味あるものは品が悪く、品よきものは面白くなく、或は渋すぎ、或は甘すぎ、互に一長一短があって、全曲すべて私の心にかなうものが稀にしかなかった。そこで試みに、各流に渉って私の好む節のみを寄せ集め、更に私の新に工夫した曲節を加味して、ここに自己流の新曲を作り、他流と区別するため、これを東明流と名付けた」とある。
この『都鳥』もまさにそうした作品。東西の音曲の良いところを取って、しかも、当時としては新しい節付けがなされている。R
by rankoh-f | 2013-10-25 21:06 | 一言解説