2016年 09月 19日
景清
10月15日、国立文楽劇場主催「東西名流舞踊鑑賞会」に出演させていただく。演目は『景清』。祖母藤子の十八番として、自身ただ一回のリサイタル「藤間藤子の会」でも上演し、母蘭景が、「古典十種」に挙げた古典の作品。蘭黄も幾度か勤めているが、久しぶりの上演となる。心新たに踊りたい。
藤原景清。平家の武将として、平安末期の源平の合戦に活躍した実在の人物。『平家物語』巻十一「弓流」に、源氏方の美尾屋十郎(みおのやのじゅうろう)の錣(しころ)を素手で引きちぎったという「錣(しころ)引(び)き」の逸話が記されている。古くから能や浄瑠璃、歌舞伎をはじめ様々な芸能の題材になっており、景清が登場するものは総称して「景清物」と呼ばれる。
今回の『景清』は、変化舞踊真っ盛りの文化10年(1813)に『閠茲姿八景(またここにすがたのはっけい)』という八変化の一つとして七世市川團十郎により初演された。平家随一の豪傑、勇猛果敢な景清を、恋人の傾城阿古屋のもとに通う色男として描いている。歌詞には随所に先行の「景清物」で形作られた伝説が取り入れられており、江戸文化の爛熟期といわれる文化文政期ならではの洒落た味わいがある。
伝説によると景清は、京、清水の観世音に深く帰依していた。室町時代の幸若舞(能や歌舞伎の原型)の「景清」には、その道すがらの五条の遊郭の遊女「あこ王」が登場する。これが近松門左衛門により「阿古屋」と名付けられ、その後の歌舞伎でも景清の恋人=阿古屋と定着する。
常磐津の『景清』は、「〽︎ねび観音をだしにして 夜毎日毎の徒詣」。ここでの景清は、観音詣を「だし」に廓に通う色男。傘をさして登場するのは、前述のとおり、初演の八変化が、「八景」(十世紀に選定された中国瀟湘八景が基となり、ある地域の優れた八つの風景を集めたものをいう。晴嵐、晩鐘、暮雪、夜雨など風景には決まりがある)になぞらえてあり、この『景清』は「滝詣の夜雨」であるから。また、この傘は『助六』や『雨の五郎』など廓へ通う色男に共通する小道具でもある。景清は、手練手管の傾城阿古屋に負けじと一杯ひっかけ、赤いところが平家だと(平家は赤旗、源氏は白旗)洒落ながらやってくる。
この景清のキャラクターには実は先祖がいる。この曲の初演5年前、源氏の武将梶原源太景季を主人公とした『源太』が三世坂東三津五郎により初演された。この上演の好評を受け、本曲が出来たのである。出端(では=登場のシーン)では「ちっと先祖に申し訳」と『源太』を初演した三津五郎を拝む振りがついている。『源太』はその歌詞の一部「〽︎今年ゃかぼちゃの当たり年」から「かぼちゃの源太」と呼ばれていたため、景清は自ら「ほんのへちまの景清が」と述べる。
さて、廓に着くと馴染みの芸者や幇間が出迎えて、景清に源平合戦の話をせがむ。つまり源平の合戦が終わったのち、という時代設定。だが、その時代にはまだ廓に芸者や幇間など居るわけがなく、また、敗れた平氏の侍が悠長に「平家の侍大将」などと言い放って廓通いなど出来るはずもない。まさに荒唐無稽な洒落の世界である。
荒唐無稽はさらに進化してゆく。「〽︎まず一ノ谷の戦場は前は海後ろは険しきひよどりごえ」と言った後、「〽︎江戸で申さば品川に似たり…」。初演当時品川は東海道第一の宿場遊里として非常に賑わったという。その「品川」である。平氏の官女たちをのせた船が海戦に漕ぎ出す様子は「〽︎すわや時ぞと漕ぎ連れて 客ある方へとのり出せば」。敵の源氏を客に見立てて、官女は「舟君」(=船で客を取る遊女)。ここでは那須与一が扇の的を射ったという故事もたった一文「〽︎かくとみぎわに那須野がひらり」で語られる。こうなれば主人公景清さえも「立君」(街娼)となって「モンシモンシ」と客(=源氏の勇将三保の谷)の袖ならぬ錣を引く。このような廓話になぞらて、勇将景清と三保の谷との二役を演じ分けながら、壇ノ浦の合戦のようすが披露されていく。
そこに恋人の阿古屋が現れる。踊り手はここで阿古屋となる。「〽︎心も空の上草履」。恋人がやってきても私のところに顔も出さずに他の部屋で、大声で戯言を言っている。阿古屋の心は上の空で、廊下を歩く上草履を引っかけるのもそこそこに景清がいる部屋の前までやってくる。入りあぐねて、障子を細く開け中へ合図を送ろうとするものの、閉められてしまう。意を決して入ろうとすると逆に障子がさっと開いて景清がやってくる。ここから阿古屋の「クドキ」となる。
花見戻りに大勢でやってきた中に「七兵衛」という面白い名前の侍(景清は悪七兵衛景清という通称)が。阿古屋は朋友の遊女とそれを笑っていたが、いつの間にか「〽︎心が先へつい惚れて こっちに思えば そっち」も私を口説いて恋人となった。これも観音様の引き合わせ…
こうして口説く阿古屋に対し景清は照れ臭いのか、はたまた「〽︎立たぬ口舌の し残しを」思い出したか、突然声を張り上げて「そんなことは置いておけ!」。挙句の果てに「〽︎どうでもしげさん粋じゃもの」とまで言う。「しげさん」は歌舞伎『壇浦兜軍記』の阿古屋の琴責めに登場する。行方不明の景清の居所を阿古屋が知っているに違いないと、源氏方の岩永左衛門が拷問をしようとする。それを畠山重忠が止めて、隠し事をしていれば、音色に狂いが現れるはず、と、琴、胡弓、三味線の三曲を演奏させる場面。その重忠がすなわち「重さん」。ここで踊り手は、景清→一瞬の阿古屋→景清と目まぐるしく役を変えながら痴話喧嘩を表出させる。そんな痴話げんかを芸者や幇間が納めて二人を閨へいざなう。踊り手は幇間から果ては閨の屏風まで演じる。『景清』はこのように剛柔自在に演じるというところが見せ所である。
古典と言われる作品は、現代の我々にとっては、難解な部分や意味不明の言葉がたくさん出てくる不思議な曲かもしれない。この『景清』もその一つであろう。しかし、「かげきよ」をキーワードにその伝説を繙いた途端、文化の宝箱となるR
藤原景清。平家の武将として、平安末期の源平の合戦に活躍した実在の人物。『平家物語』巻十一「弓流」に、源氏方の美尾屋十郎(みおのやのじゅうろう)の錣(しころ)を素手で引きちぎったという「錣(しころ)引(び)き」の逸話が記されている。古くから能や浄瑠璃、歌舞伎をはじめ様々な芸能の題材になっており、景清が登場するものは総称して「景清物」と呼ばれる。
今回の『景清』は、変化舞踊真っ盛りの文化10年(1813)に『閠茲姿八景(またここにすがたのはっけい)』という八変化の一つとして七世市川團十郎により初演された。平家随一の豪傑、勇猛果敢な景清を、恋人の傾城阿古屋のもとに通う色男として描いている。歌詞には随所に先行の「景清物」で形作られた伝説が取り入れられており、江戸文化の爛熟期といわれる文化文政期ならではの洒落た味わいがある。
伝説によると景清は、京、清水の観世音に深く帰依していた。室町時代の幸若舞(能や歌舞伎の原型)の「景清」には、その道すがらの五条の遊郭の遊女「あこ王」が登場する。これが近松門左衛門により「阿古屋」と名付けられ、その後の歌舞伎でも景清の恋人=阿古屋と定着する。
常磐津の『景清』は、「〽︎ねび観音をだしにして 夜毎日毎の徒詣」。ここでの景清は、観音詣を「だし」に廓に通う色男。傘をさして登場するのは、前述のとおり、初演の八変化が、「八景」(十世紀に選定された中国瀟湘八景が基となり、ある地域の優れた八つの風景を集めたものをいう。晴嵐、晩鐘、暮雪、夜雨など風景には決まりがある)になぞらえてあり、この『景清』は「滝詣の夜雨」であるから。また、この傘は『助六』や『雨の五郎』など廓へ通う色男に共通する小道具でもある。景清は、手練手管の傾城阿古屋に負けじと一杯ひっかけ、赤いところが平家だと(平家は赤旗、源氏は白旗)洒落ながらやってくる。
この景清のキャラクターには実は先祖がいる。この曲の初演5年前、源氏の武将梶原源太景季を主人公とした『源太』が三世坂東三津五郎により初演された。この上演の好評を受け、本曲が出来たのである。出端(では=登場のシーン)では「ちっと先祖に申し訳」と『源太』を初演した三津五郎を拝む振りがついている。『源太』はその歌詞の一部「〽︎今年ゃかぼちゃの当たり年」から「かぼちゃの源太」と呼ばれていたため、景清は自ら「ほんのへちまの景清が」と述べる。
さて、廓に着くと馴染みの芸者や幇間が出迎えて、景清に源平合戦の話をせがむ。つまり源平の合戦が終わったのち、という時代設定。だが、その時代にはまだ廓に芸者や幇間など居るわけがなく、また、敗れた平氏の侍が悠長に「平家の侍大将」などと言い放って廓通いなど出来るはずもない。まさに荒唐無稽な洒落の世界である。
荒唐無稽はさらに進化してゆく。「〽︎まず一ノ谷の戦場は前は海後ろは険しきひよどりごえ」と言った後、「〽︎江戸で申さば品川に似たり…」。初演当時品川は東海道第一の宿場遊里として非常に賑わったという。その「品川」である。平氏の官女たちをのせた船が海戦に漕ぎ出す様子は「〽︎すわや時ぞと漕ぎ連れて 客ある方へとのり出せば」。敵の源氏を客に見立てて、官女は「舟君」(=船で客を取る遊女)。ここでは那須与一が扇の的を射ったという故事もたった一文「〽︎かくとみぎわに那須野がひらり」で語られる。こうなれば主人公景清さえも「立君」(街娼)となって「モンシモンシ」と客(=源氏の勇将三保の谷)の袖ならぬ錣を引く。このような廓話になぞらて、勇将景清と三保の谷との二役を演じ分けながら、壇ノ浦の合戦のようすが披露されていく。
そこに恋人の阿古屋が現れる。踊り手はここで阿古屋となる。「〽︎心も空の上草履」。恋人がやってきても私のところに顔も出さずに他の部屋で、大声で戯言を言っている。阿古屋の心は上の空で、廊下を歩く上草履を引っかけるのもそこそこに景清がいる部屋の前までやってくる。入りあぐねて、障子を細く開け中へ合図を送ろうとするものの、閉められてしまう。意を決して入ろうとすると逆に障子がさっと開いて景清がやってくる。ここから阿古屋の「クドキ」となる。
花見戻りに大勢でやってきた中に「七兵衛」という面白い名前の侍(景清は悪七兵衛景清という通称)が。阿古屋は朋友の遊女とそれを笑っていたが、いつの間にか「〽︎心が先へつい惚れて こっちに思えば そっち」も私を口説いて恋人となった。これも観音様の引き合わせ…
こうして口説く阿古屋に対し景清は照れ臭いのか、はたまた「〽︎立たぬ口舌の し残しを」思い出したか、突然声を張り上げて「そんなことは置いておけ!」。挙句の果てに「〽︎どうでもしげさん粋じゃもの」とまで言う。「しげさん」は歌舞伎『壇浦兜軍記』の阿古屋の琴責めに登場する。行方不明の景清の居所を阿古屋が知っているに違いないと、源氏方の岩永左衛門が拷問をしようとする。それを畠山重忠が止めて、隠し事をしていれば、音色に狂いが現れるはず、と、琴、胡弓、三味線の三曲を演奏させる場面。その重忠がすなわち「重さん」。ここで踊り手は、景清→一瞬の阿古屋→景清と目まぐるしく役を変えながら痴話喧嘩を表出させる。そんな痴話げんかを芸者や幇間が納めて二人を閨へいざなう。踊り手は幇間から果ては閨の屏風まで演じる。『景清』はこのように剛柔自在に演じるというところが見せ所である。
古典と言われる作品は、現代の我々にとっては、難解な部分や意味不明の言葉がたくさん出てくる不思議な曲かもしれない。この『景清』もその一つであろう。しかし、「かげきよ」をキーワードにその伝説を繙いた途端、文化の宝箱となるR
by rankoh-f
| 2016-09-19 21:37