藤間蘭黄  日本舞踊の世界

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解説 「須磨 上」

今回は、清元「須磨」。
これはちょっと長い。踊りも解説も。

踊りは上下二段に分かれており、全部上演すると1時間半はかかる大作である。

古今集にある在原行平の和歌「立別れ因幡の山の峰に生ふる松とし聞かば今帰り来む」を元に、様々な「松風伝説」が生まれた。
能楽「松風」もその一つで、この「須磨」はこれを下敷きにしている。

須磨に流罪となった行平が、松風、村雨という海女の姉妹と恋に落ち、三年の月日を送るが、やがて行平は赦されて都へ帰ることになる。
その迎えの船がやってくる日を描いている。

その上の巻。

幕が開き、浅黄幕が落ちると、行平、松風、村雨の三人が絵のようにポーズしている。「絵面にきまる」という、歌舞伎や日本舞踊の見せ方である。

そして、まだ迎え船が来ていることを知らない姉妹が、のどかに汐を汲む様子、
都を思っての行平の述懐、
姉妹のクドキと 続く。

「クドキ(口説き)」とは、ある人物に自分の心情を訴える踊りのことで、女性の心を唄に乗せて踊る場合が多いが、
親子、主従などの間で踊られることもある。
また、実際そこに相手が居なくても居るかのようにして踊ったりもする。
日本舞踊独特の手法である。

「須磨」の場合、姉妹で一人の男を取り合う。
まず、姉の松風が「こんな田舎に、こんなに綺麗で高貴な方(松風村雨は漁村の海女、行平は都の貴族である)がやってきて恋人になるなんて夢のようだ」と語ると、
妹の村雨が「私の想いも姉さんと同じ。だから姉さんだけ贔屓しないで」と訴える。
中に挟まれた行平は、彼方へ此方へと手を引かれ、超然としている。

やがて、行平は、千鳥(鴎)が騒ぐので満潮を知り、いよいよ船出の時刻が近いと悟る。
赦されて都へ帰るのに、まさか愛人を連れては行かれない。が、行平は別れを言い出せず、二人の姉妹の恋争いの仲裁をして一緒に踊る。
この手踊りが上の巻の見せ場となる。

「手踊り」とは、賑やかで軽快な音楽に乗せて、演者全員が派手に踊るもので、その演目の中で一番盛り上がるくだりである。
その名の通り何も持たずに(手で)踊ることも多いが、時には手拭を使ったり、団扇太鼓を打ち鳴らして踊る。
「須磨」では、千鳥が騒いで満潮だと気付いた行平が、二人の恋争いを千鳥が笑ったと誤魔化すことから、「千鳥尽くし」の歌詞に乗って踊る。
「○○づくし」というのは、ある一定のルールに沿って、物事を収集、展示することで、この曲の場合は、歌詞に「千鳥」が付く。
例えば、「立つ名も侭の川千鳥、縁も深き友千鳥、夕凪千鳥約束の、月にも雲のむら千鳥、一人憂き寝をしま千鳥(島千鳥)、とは知らぬ男の憎さよ千鳥(小夜千鳥)、焦がれこがれて浜千鳥、通う千鳥の磯伝い」といった具合である。
前半の川千鳥、友千鳥あたりは、実際に使われる表現だが、「月に叢雲(むらくも)花に風」から発想した「月にも雲の叢千鳥」あたりは詩的な創作で、「憂き寝をしました」に引っ掛けた「島千鳥」、「憎さよ」の「小夜千鳥」となると完全に駄洒落の世界である。

こうした歌詞で、三人が同じ手振りで踊る。
但し、「同じ手振り」と言っても、行平は都の貴族風、松風、村雨は鄙びた海女で踊る。

「役で踊る」日本舞踊の醍醐味である。

こうして姉妹を仲直りさせた行平は、二人に先に家へ帰っているように言い、
形見を残して一人密かに都へ帰ってゆく。

ここまでが上の巻である。

ちなみに、これは文化十二年(1815)に初演された舞踊劇。
当時、所作事(舞踊シーン)は、歌舞伎(劇)の中の一場面として踊られていたが、
この作品は、はじめて独立した舞踊劇として上演されたもの。

行平は何度か演じている。
これが難しい。
まず第一に存在感がなくてはならず、
かといって現実味がありすぎると毒々しくなる。
何よりも姉妹に愛される非現実的な美しさがなくてはならず、
高貴な品格も必要とされる。
これら全てを備えながら、
しっかりと物語を伝える。

こう書いただけでも、本当に難しいと思う。R
by rankoh-f | 2008-06-22 11:21 | 一言解説