2007年 09月 25日
早稲田の「鉢かづき」の稽古も佳境になってきた。
お伽草子の日本舞踊化というと、ともすると幼稚っぽいと思われるが、
そこはさすがに坪内逍遥先生。深い文学性と高い芸術性を兼ね備えた作詞で、
二代目家元(藤間勘右衞門)の振付も練られらものである。
つまりは埋もれた名作。
この名作の素晴らしさを堪能しつつ、
それを観客の皆様に伝えなくてはいけなという使命感、
責任感に押しつぶされそうになりながら格闘して居る。
この作品のキーパーソンは太郎冠者と次郎冠者。
二人は、心中しようとした宰相の君と鉢かづきを探しに、松明片手にやってくる。
途中で誤って松明を消してしまい、折から月も雲に隠れ、
闇の中でお互いを山賊と思って逃げ惑う、といったおかしみの振りがついている。
これをいかに面白く見せるかがこの演目の眼目のひとつなのだ。
今回は、この役を、明日の藤間を担う若手が演じる。
彼らはとても真面目で、とてもよく私の言う事を聞いて、頑張ってくれる。
が、この種の面白さはただ「頑張って」出来るものではない(勿論、頑張らなくては出来ようもないが)。
ある意味で、その場の空気を支配する力がなくては、面白く出来ない。
その「力」は踊り手個々の力ばかりではなく、
作詞、作曲、振付など作品全体の力でもあると思う。
さすれば、
作詞、作曲、振付に充分な力のあるこの「鉢かづき」なら、
あと少しの舞踊力で面白くなると思うのだが…
10月10日の本番に向け、とにかく稽古あるのみ!R
お伽草子の日本舞踊化というと、ともすると幼稚っぽいと思われるが、
そこはさすがに坪内逍遥先生。深い文学性と高い芸術性を兼ね備えた作詞で、
二代目家元(藤間勘右衞門)の振付も練られらものである。
つまりは埋もれた名作。
この名作の素晴らしさを堪能しつつ、
それを観客の皆様に伝えなくてはいけなという使命感、
責任感に押しつぶされそうになりながら格闘して居る。
この作品のキーパーソンは太郎冠者と次郎冠者。
二人は、心中しようとした宰相の君と鉢かづきを探しに、松明片手にやってくる。
途中で誤って松明を消してしまい、折から月も雲に隠れ、
闇の中でお互いを山賊と思って逃げ惑う、といったおかしみの振りがついている。
これをいかに面白く見せるかがこの演目の眼目のひとつなのだ。
今回は、この役を、明日の藤間を担う若手が演じる。
彼らはとても真面目で、とてもよく私の言う事を聞いて、頑張ってくれる。
が、この種の面白さはただ「頑張って」出来るものではない(勿論、頑張らなくては出来ようもないが)。
ある意味で、その場の空気を支配する力がなくては、面白く出来ない。
その「力」は踊り手個々の力ばかりではなく、
作詞、作曲、振付など作品全体の力でもあると思う。
さすれば、
作詞、作曲、振付に充分な力のあるこの「鉢かづき」なら、
あと少しの舞踊力で面白くなると思うのだが…
10月10日の本番に向け、とにかく稽古あるのみ!R
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by rankoh-f
| 2007-09-25 23:56